春 HARU
石段の先から、桜の花びらがのれんの内側まで舞いこんできます。
京都・東山 昭和三十七年創業
京都・東山の路地の奥。六十年以上ものあいだ、夜ごと一つの提灯に灯りをともしてきた小さな食堂があります。
名所をめぐり終えた旅人も、この街で暮らす人も、のれんをくぐれば同じひとりのお客さま。世界中の人々が「帰ってくる」場所、それが Joji Foods です。
物語を読むOUR STORY
一人の料理人と、一つの灯りの、六十四年。
1962
一九六二年の春。二十六歳の森丈治は、東山の細い路地に、カウンター八席だけの小さな食堂をひらきました。
十歳で母を亡くした丈治の記憶に残っていたのは、夕暮れの台所から立ちのぼる湯気と、玄関をあけるたびに聞こえた「おかえり」という声だけでした。
――あの声を、今度は自分が誰かに返したい。
看板も広告もない店に最初に集まったのは、仕事帰りの職人や、故郷を離れて下宿で暮らす学生たち。丈治は誰にでも、同じように「おかえり」と声をかけました。
1976
ある冬の夜。店じまいを終えた丈治は、戸口にたたずむ一人の青年に気づきます。遠い町から出てきたばかりで、行くあてもなく歩いていたのだと、青年は小さな声で言いました。
丈治は何も聞かずに火を入れなおし、湯気の立つ一膳を差し出しました。
その夜から、丈治は決めたのです。店の提灯は、最後のひとりが帰るまで消さない、と。路地の奥に揺れるその灯りは、いつしか「丈治さんの灯り」と呼ばれるようになりました。
2003
四十年ものあいだ、丈治の隣で店を支えてきた妻の千代が、この年の秋に亡くなりました。店は一か月閉じたまま。路地の提灯も、はじめて灯りを落としました。
ある晩、戸を叩く音がしました。あの冬の夜に一膳を差し出された青年――いまは白髪まじりの男性が、手紙の束を抱えて立っていました。それは、この店で「おかえり」をもらった人々が、全国から寄せた言葉でした。
翌日、提灯にふたたび灯りがともりました。カウンターの端には今も、千代の湯のみがひとつ置かれています。
2019
二〇一九年の冬、丈治は八十三歳で静かに旅立ちました。
パリで料理を学んでいた孫娘の結衣は、迷わず京都へ帰り、店を継ぐことを決めます。遺されていたのは、五十七年分の小さな帳面。そこには味の覚え書きよりもずっと多く、訪れた人の名前と、その日の天気と、交わした言葉が綴られていました。
最後のページには、震える字で、こう一行だけ書かれていました。
料理は、
誰かの帰りを
待つことだ。
結衣は今夜も、祖父と同じように提灯に火を入れます。
そして戸をあけた人に、祖父と同じ言葉をかけるのです。「おかえりなさい」と。
TRAVELERS' NOTEBOOKS
いつの頃からか、カウンターの端に一冊のノートが置かれるようになりました。
はじめは常連客の走り書きでした。やがて英語、フランス語、韓国語、スペイン語、アラビア語――。丈治の灯りの話は旅人から旅人へと語り継がれ、世界中から訪れた人々が、それぞれの言葉で思い出を書き残していくようになりました。
ページをめくると、言葉はちがっても、同じ一行が何度も綴られています。
「また、帰ってきます。」
KYOTO, FOUR SEASONS
東山の路地は、季節ごとに表情を変えます。けれど提灯の灯りだけは、いつも同じ場所で。
石段の先から、桜の花びらがのれんの内側まで舞いこんできます。
祇園祭の囃子の音が、夕風にのって路地の奥まで届きます。
紅葉に染まる東山を見上げた帰り道。提灯の灯りが、少しだけ早くともります。
京都の底冷えの夜。戸をあけた瞬間の湯気が、何よりのごちそうです。
京都を訪れるなら、名だたる寺社をめぐったあとで、少しだけ路地の奥へ。
名前も、言葉も、どこから来たかも問いません。提灯の小さな灯りが、あなたの帰りを待っています。
おかえりなさい。
京都市東山区 八坂の塔にほど近い路地の奥
提灯の灯りが目印です